前節・東京ヴェルディ戦に勝利して復帰1年目のJ1残留を確定させた清水エスパルス。まずは最低限の目標をクリアし、残り3試合で開幕前に掲げた「トップ10以内」に食い込むための4連勝フィニッシュを目指している。
そんな上向き状態になってきたチームの中で、大きな存在感を示している1人が、アカデミー出身のGK梅田透吾だ。
相手の決定機を阻止するビッグセーブが非常に目立ち、J1の個人スタッツではペナルティエリア内セーブ率1位、出場した12試合のうち半分以上の7試合が無失点という数字でも注目を集めている。
そして翌2021年にはファジアーノ岡山に期限付き移籍し、19節(6/19)から定位置をつかんで、以降は全試合(24試合)で守護神を務めた。その活躍でサポーターやスタッフの信頼もつかみ、2022年には期限付き移籍を延長して背番号1を与えられ、開幕から安定したプレーを見せた。だが、4節(3/13)FC町田ゼルビア戦の試合中に右膝の前十字靭帯を断裂してしまい、全治6~8カ月という診断を受ける。同年中の復帰が難しかったこともあって、6月15日に期限付き移籍を解除して清水に戻り、リハビリに専念した。
だが復帰後も、2023年と24年は元日本代表GK権田修一の壁もあって公式戦の出場がなく、今季も沖悠哉や猪越優惟らとの定位置争いの中で3番手になっていた時期もあった。それでもJリーグYBCルヴァンカップでは1回戦の相模原戦(3/26)に出場し、これが3年ぶりの公式戦。続く2回戦・磐田戦にも出場したが1-2で敗れて、以降は出番を失っていた。
そんな中でチャンスが巡ってきたのが、7月16日の天皇杯3回戦・湘南戦。そこで無失点に抑えた活躍が認められて、中3日(7/20)の明治安田J1第24節・横浜FC戦でついにリーグ戦での先発も獲得。清水でのリーグ戦出場はじつに4年8カ月ぶりだったが、ここでも好セーブを連発して無失点に抑え、続くサンフレッチェ広島戦も完封。ようやく訪れたチャンスを自力で生かして信頼をつかみ、12試合連続でフル出場を重ねている。その中で叩き出している数値は冒頭の通りだ。
長かった苦難の時期を乗り越えて守護神の座をつかみ取ったことについて、梅田本人は次のように語る。
「出たらやれるという自信はあったんですけど、ベンチに入れない試合も多くて使われるという気配もなくて……でも、たまたま巡ってきたチャンス(天皇杯)で結果が出て良かったです。3年出ていなくていろいろ考えることもありましたが、『チャンスが来るかもな』ぐらいの気持ちで腐らずやってきて、積み上げてきたものが生きたのかなと信じてます」
実際にはなかなか重い話だが、それを感じさせることなく淡々と振り返る姿は、彼をよく知る人なら「透吾らしい」と言うだろう。ユース時代から良いときも悪いときも表情を変えることなく、感情をあまり表に出さずに飄々とした雰囲気を漂わせていた梅田は、「やる気や気迫が感じられない」と言われることもあったが、本人は「こう見えて頑張っているんですよ」とボヤいていた。だが、そうした評価が誤解であったことは、大きく成長した今の姿が堂々と証明している。
身長は184cmとGKとしてとくに高くはなく、身体能力もライバルと比べて際立っているわけではないが、その彼がなぜ近距離の強いシュートを高確率で止められるのか。素朴な疑問を土屋明大GKコーチに投げかけてみた。
「一番は身体の使い方、身体操作がうまいということがあると思います。例えば他の競技をやっても、うまい人を見て正しいフォームをすぐに再現できるんですよ。体幹がしっかりしていて、イメージ通りに身体を動かすことがうまいから、身体に余計な力が入らないし、乱れたり自分から崩れたりすることが少ない選手だと思います。バタバタせずにニュートラルというか自然に構えられるから相手もしっかり見えて、反応の良さにもつながっていると思いますし、自分が少し遅れたり体勢が難しくなったりしても何とか処理してしまうという対応力もあると感じます」(土屋コーチ)
梅田本人も、力むことなく不用意に先に動かないことを「いちばん大事にしています」と言う。それが素晴らしい反応につながっているのかと聞くと、「そう信じています」と彼がよく使う言い回しで答えた。
性格や立ち振る舞いにも良い意味の“脱力感”がある梅田。幼稚園の頃も他の子たちがボールに吸い寄せられて“お団子サッカー”を繰り広げている中、「後ろで1人ポツンといて、コロンと転がってきたボールを回収していく感じ」の子供だったと言う。
そうした俯瞰的にものを見る性分や脱力感が、GKとしての重要な資質につながっているというのは、話を聞いていて痛快でもあった。
土屋コーチも「ピンチでも、自分が良いプレーしてもあまり変わらない。ダメだったときにも変わらず続けられるというのは、素晴らしいメンタリティだなと感心します」と証言する。つねに泰然としていることは誤解にもつながるが、彼自身はそれが自分の強みだと信じて自分なりの取り組み方を貫いてきた。
陸上競技の100m走の選手は、何年もかけて100分の数秒を縮めていくが、GKも同様に不断の努力で手が届く範囲を数センチずつ広げていく。そこも出られなかった3年間での成長につながったが、それは今後もプロを引退するまで続けていく道であり、試合後もスタッフ陣とフィードバックを繰り返している。
「僕らが指摘したことに対して『いや、これはこうだと思います』という自分の考えもしっかりと言えるし、逆に『たしかにそっちのほうが良かったですね』と素直に受け入れることもできる。だから僕らも彼から学ぶものがたくさんありますし、自分の考えに芯を持って伝えられて、聞く耳もあるというのは、サッカー選手に限らず大きく伸びる要素だと思います」(土屋コーチ)
公式戦での実戦経験には何よりも大きな刺激と学びがあり、25歳の脱力系GKはさらに成長を加速させている。
「あんまり岡山のことを言うと『育成出身なのに…』って言われちゃいそうですが、僕が唯一外に出たクラブで、本当にマイナスな記憶がないぐらい楽しくやらせてもらって、今も大好きなクラブです。しかも戻り方は悔しかったし、岡山との試合には出たことがないので、本当に出してください!って感じです」
2022年には背番号1が入った梅田のユニフォームを予約注文した岡山サポーターがたくさんいたが、手元に届く前に彼がケガをしてしまったので、それを着て応援することができず、梅田も「本当に申し訳なかったです」と振り返る。だが、今季のアウェイゲームにサブGKとして帯同した際に「岡山時代のユニフォームを持ってきてくれたサポーターがたくさんいて、本当にうれしかったです」(梅田)という出来事もあった。
岡山にも、彼の復活を心から喜んでいるサポーターは多いはず。2022年のユニフォームをバッグに入れてアイスタまで駆けつけてくれる人もいるだろう。
恩返しの機会を心から願う岡山戦。そこに出るためには、11月のセレッソ大阪戦と湘南ベルマーレ戦でも結果を出さなければならないことを本人が誰よりも理解している。だからといって気負うことや力むことはないだろうが、今まで通り日々の練習で飄々と全力を尽くすことが結果につながることを、彼自身も「信じて」いるはずだ。
Reported by 前島芳雄
そんな上向き状態になってきたチームの中で、大きな存在感を示している1人が、アカデミー出身のGK梅田透吾だ。
相手の決定機を阻止するビッグセーブが非常に目立ち、J1の個人スタッツではペナルティエリア内セーブ率1位、出場した12試合のうち半分以上の7試合が無失点という数字でも注目を集めている。
大ケガから3年ぶりの出場へ
静岡県東部の長泉町出身の梅田は、中学から清水のジュニアユースに加わり、ユースを経て2019年にトップ昇格。1年目の出場はなかったが、2年目にはピーター クラモフスキー監督に抜擢されて、コロナ禍による中断明けの第2節(7/4)にJデビューを飾り、11試合連続出場。大久保択生との拮抗したポジション争いの中で終盤にも6試合に出場し、リーグ戦の半分でゴールマウスを守った。そして翌2021年にはファジアーノ岡山に期限付き移籍し、19節(6/19)から定位置をつかんで、以降は全試合(24試合)で守護神を務めた。その活躍でサポーターやスタッフの信頼もつかみ、2022年には期限付き移籍を延長して背番号1を与えられ、開幕から安定したプレーを見せた。だが、4節(3/13)FC町田ゼルビア戦の試合中に右膝の前十字靭帯を断裂してしまい、全治6~8カ月という診断を受ける。同年中の復帰が難しかったこともあって、6月15日に期限付き移籍を解除して清水に戻り、リハビリに専念した。
だが復帰後も、2023年と24年は元日本代表GK権田修一の壁もあって公式戦の出場がなく、今季も沖悠哉や猪越優惟らとの定位置争いの中で3番手になっていた時期もあった。それでもJリーグYBCルヴァンカップでは1回戦の相模原戦(3/26)に出場し、これが3年ぶりの公式戦。続く2回戦・磐田戦にも出場したが1-2で敗れて、以降は出番を失っていた。
そんな中でチャンスが巡ってきたのが、7月16日の天皇杯3回戦・湘南戦。そこで無失点に抑えた活躍が認められて、中3日(7/20)の明治安田J1第24節・横浜FC戦でついにリーグ戦での先発も獲得。清水でのリーグ戦出場はじつに4年8カ月ぶりだったが、ここでも好セーブを連発して無失点に抑え、続くサンフレッチェ広島戦も完封。ようやく訪れたチャンスを自力で生かして信頼をつかみ、12試合連続でフル出場を重ねている。その中で叩き出している数値は冒頭の通りだ。
長かった苦難の時期を乗り越えて守護神の座をつかみ取ったことについて、梅田本人は次のように語る。
「出たらやれるという自信はあったんですけど、ベンチに入れない試合も多くて使われるという気配もなくて……でも、たまたま巡ってきたチャンス(天皇杯)で結果が出て良かったです。3年出ていなくていろいろ考えることもありましたが、『チャンスが来るかもな』ぐらいの気持ちで腐らずやってきて、積み上げてきたものが生きたのかなと信じてます」
実際にはなかなか重い話だが、それを感じさせることなく淡々と振り返る姿は、彼をよく知る人なら「透吾らしい」と言うだろう。ユース時代から良いときも悪いときも表情を変えることなく、感情をあまり表に出さずに飄々とした雰囲気を漂わせていた梅田は、「やる気や気迫が感じられない」と言われることもあったが、本人は「こう見えて頑張っているんですよ」とボヤいていた。だが、そうした評価が誤解であったことは、大きく成長した今の姿が堂々と証明している。
“脱力”がビッグセーブの基盤に
プロ入り当初から足下の技術やビルドアップ能力も武器と言われてきた梅田は、攻撃面でも確かな貢献を見せている。ただ、今はそれ以上にGKとしてもっとも重要なシュートストップの面で高く評価されており、本人も「ビルドアップに関してはチームの色とか監督の色が出ると思いますし、根本的なキーパーの仕事は守ることなので、そっちで評価されるのは嬉しいです」と顔をほころばせる。身長は184cmとGKとしてとくに高くはなく、身体能力もライバルと比べて際立っているわけではないが、その彼がなぜ近距離の強いシュートを高確率で止められるのか。素朴な疑問を土屋明大GKコーチに投げかけてみた。
「一番は身体の使い方、身体操作がうまいということがあると思います。例えば他の競技をやっても、うまい人を見て正しいフォームをすぐに再現できるんですよ。体幹がしっかりしていて、イメージ通りに身体を動かすことがうまいから、身体に余計な力が入らないし、乱れたり自分から崩れたりすることが少ない選手だと思います。バタバタせずにニュートラルというか自然に構えられるから相手もしっかり見えて、反応の良さにもつながっていると思いますし、自分が少し遅れたり体勢が難しくなったりしても何とか処理してしまうという対応力もあると感じます」(土屋コーチ)
梅田本人も、力むことなく不用意に先に動かないことを「いちばん大事にしています」と言う。それが素晴らしい反応につながっているのかと聞くと、「そう信じています」と彼がよく使う言い回しで答えた。
性格や立ち振る舞いにも良い意味の“脱力感”がある梅田。幼稚園の頃も他の子たちがボールに吸い寄せられて“お団子サッカー”を繰り広げている中、「後ろで1人ポツンといて、コロンと転がってきたボールを回収していく感じ」の子供だったと言う。
そうした俯瞰的にものを見る性分や脱力感が、GKとしての重要な資質につながっているというのは、話を聞いていて痛快でもあった。
土屋コーチも「ピンチでも、自分が良いプレーしてもあまり変わらない。ダメだったときにも変わらず続けられるというのは、素晴らしいメンタリティだなと感心します」と証言する。つねに泰然としていることは誤解にもつながるが、彼自身はそれが自分の強みだと信じて自分なりの取り組み方を貫いてきた。
陸上競技の100m走の選手は、何年もかけて100分の数秒を縮めていくが、GKも同様に不断の努力で手が届く範囲を数センチずつ広げていく。そこも出られなかった3年間での成長につながったが、それは今後もプロを引退するまで続けていく道であり、試合後もスタッフ陣とフィードバックを繰り返している。
「僕らが指摘したことに対して『いや、これはこうだと思います』という自分の考えもしっかりと言えるし、逆に『たしかにそっちのほうが良かったですね』と素直に受け入れることもできる。だから僕らも彼から学ぶものがたくさんありますし、自分の考えに芯を持って伝えられて、聞く耳もあるというのは、サッカー選手に限らず大きく伸びる要素だと思います」(土屋コーチ)
公式戦での実戦経験には何よりも大きな刺激と学びがあり、25歳の脱力系GKはさらに成長を加速させている。
最終節にどうしても出たい理由
そんな梅田が、個人的に今何よりも望んでいるのは、最終節の岡山戦に出場することだ。「あんまり岡山のことを言うと『育成出身なのに…』って言われちゃいそうですが、僕が唯一外に出たクラブで、本当にマイナスな記憶がないぐらい楽しくやらせてもらって、今も大好きなクラブです。しかも戻り方は悔しかったし、岡山との試合には出たことがないので、本当に出してください!って感じです」
2022年には背番号1が入った梅田のユニフォームを予約注文した岡山サポーターがたくさんいたが、手元に届く前に彼がケガをしてしまったので、それを着て応援することができず、梅田も「本当に申し訳なかったです」と振り返る。だが、今季のアウェイゲームにサブGKとして帯同した際に「岡山時代のユニフォームを持ってきてくれたサポーターがたくさんいて、本当にうれしかったです」(梅田)という出来事もあった。
岡山にも、彼の復活を心から喜んでいるサポーターは多いはず。2022年のユニフォームをバッグに入れてアイスタまで駆けつけてくれる人もいるだろう。
恩返しの機会を心から願う岡山戦。そこに出るためには、11月のセレッソ大阪戦と湘南ベルマーレ戦でも結果を出さなければならないことを本人が誰よりも理解している。だからといって気負うことや力むことはないだろうが、今まで通り日々の練習で飄々と全力を尽くすことが結果につながることを、彼自身も「信じて」いるはずだ。
Reported by 前島芳雄