藤枝MYFCが3度目のJ2残留を決めて15位で2025年シーズンを終えた4日後、プロ2年目の前田翔茉の契約満了が発表された。今オフの1人目として早めに発表されたのは、次のチームを探しやすくするための配慮だろうが、藤枝市内出身の選手として期待していたサポーターたちにとっては大きなショックだった。
前田は、藤枝市のレジェンドである元日本代表の名波浩氏と同じ西益津小、西益津中、清水桜が丘高(旧清水商業高)と進み、浜松の常葉大を経て2024年に藤枝でプロ入り。荒削りで無名の存在だったが、バネや身体能力が抜群で、上を目指す雑草魂も非常に旺盛であるため、成長を楽しみに待っている地元ファンも多かった。
前田本人も、そのプロ初ゴールが藤枝での最高の思い出だと言う。
「秋田戦のあの瞬間というのは一生忘れることないと思いますし、SNSで『伝説の試合』と言ってくれた人もいて、藤枝サポーターの記憶にも残るワンプレー、勝利になったと思うので、自分にとっても本当に幸せな瞬間でした」
その後も着実に成長している姿を練習試合等で見せたが、昨年より格段にハイレベルになったポジション争いを勝ち抜くことができず、結果を残せなかった。契約満了に関しては「試合数と結果を見たら……シビアな世界だとわかったうえでこの世界入ったので、覚悟はできてました」と語るが、前向きさはまったく失っていない。
「藤枝でやりたかったことはもちろんたくさんありますし、もっともっとサポーターの皆さんの前で、支えてくれている人たちの前でプレーして、秋田戦のような志太榛原地域を盛り上げるようなプレーをたくさんしたかったです。でも、それはちょっと先の話になりそうなので、一旦武者修行という形で外に出て、いろんな景色を見て成長して、無名な自分を見つけてくれたこのクラブに戻って恩返ししたいと思っています」(前田)
「ドミくん(久富)には本当にたくさん食事に連れてってもらって、いろいろなことを話させてもらいました。サッカーを離れて『幸せって何?』という話もしましたし、人として最高の手本になる先輩なので、サッカー以外でも人間性の面ですごく成長させてもらいました。1日1日の積み重ねがどれだけ大事かとか、サッカーができる幸せとか喜びとかということを身にしみて実感できたことが、一番の収穫になったと思います。それは違う環境に行っても生きると思いますし、僕たちはサッカーを仕事にできるというなかなか経験できない幸せな環境にいるので、何があっても諦めずに、サッカーでどれだけ自分が幸せになれるか、周りを幸せにできるかということを求め続けていきたいです。それが自分の人生の楽しみでもあるので」(前田)
前田が人生の師と仰ぐ久富は、産業能率大を卒業してアマチュアチーム(ザスパ草津チャレンジャーズ)からスタートし、一歩一歩自力で這い上がってきた。そして34歳になった今季も貪欲に成長を重ね、3ゴール4アシストと13年のキャリアで最高の数字を残した。その姿やサッカーに取り組む姿勢は、前田に限らず無名の存在からスタートした選手たちの手本となり、「オレにもできる」という希望や向上心を与えている。
とはいえ、やはりプロの世界は厳しく、12月5日には前田と同期の永田貫太の契約満了がリリースされた。当然この後も藤枝を離れる選手が何人か発表されるだろう。そうした選手たちに向けて、自身もチームを離れるという噂のある須藤大輔監督は次のような言葉を贈った。
「まずはサッカー選手を1年でも長くやってほしいと。そのためにはいろんなことを学び、吸収しなければいけないし、いろんなものに感謝しないといけない。人間的にダメな奴はサッカー選手としてもダメになるよと。一番問われるのは、強いマインド。どんな状況でもやり続ける、諦めない、人のせいにしない、自分にベクトルを向けて常に上を目指してやっていく。そういう姿勢が大事だよと伝えさせてもらいました。僕自身もそれは同じなんですよ。いろんな挫折があって、今がある。本気の奴のところには本気の奴らが集まってくるし、そうすれば未来は開けるよと。そして最後に、自分が死ぬ間際に『ああ、この人生本当に幸せだったな』と思ってオレは死にたいし、みんなにもそうなってほしいと伝えました」(須藤監督)
サッカーの選手寿命は他の競技よりも短く、20年やれる選手は本当に限られている。前田も須藤監督も、引退後の人生まで視野に入れながらサッカー選手としての生き方について考え、言葉を発した。過去に藤枝を離れた選手にも新天地で活躍している例が目立つことは、そうしたマインドが引き継がれている証かもしれない。
前田や永田らが一回りも二回りも成長して藤枝に帰ってきて、久富のように後輩たちに大事なことを伝えていく役割を果たす未来を楽しみにしたい。
Reported by 前島芳雄
前田は、藤枝市のレジェンドである元日本代表の名波浩氏と同じ西益津小、西益津中、清水桜が丘高(旧清水商業高)と進み、浜松の常葉大を経て2024年に藤枝でプロ入り。荒削りで無名の存在だったが、バネや身体能力が抜群で、上を目指す雑草魂も非常に旺盛であるため、成長を楽しみに待っている地元ファンも多かった。
「またここに戻って恩返ししたいので」
今季はリーグ戦の出場が5試合と、昨季(11試合)より減ってしまったが、集団食中毒でチームが大ピンチに陥った第3節・秋田戦で、88分に劇的な逆転ゴールを決めて今季初勝利をもたらした働きは、サポーターの記憶に強く刻み込まれている。前田本人も、そのプロ初ゴールが藤枝での最高の思い出だと言う。
「秋田戦のあの瞬間というのは一生忘れることないと思いますし、SNSで『伝説の試合』と言ってくれた人もいて、藤枝サポーターの記憶にも残るワンプレー、勝利になったと思うので、自分にとっても本当に幸せな瞬間でした」
その後も着実に成長している姿を練習試合等で見せたが、昨年より格段にハイレベルになったポジション争いを勝ち抜くことができず、結果を残せなかった。契約満了に関しては「試合数と結果を見たら……シビアな世界だとわかったうえでこの世界入ったので、覚悟はできてました」と語るが、前向きさはまったく失っていない。
「藤枝でやりたかったことはもちろんたくさんありますし、もっともっとサポーターの皆さんの前で、支えてくれている人たちの前でプレーして、秋田戦のような志太榛原地域を盛り上げるようなプレーをたくさんしたかったです。でも、それはちょっと先の話になりそうなので、一旦武者修行という形で外に出て、いろんな景色を見て成長して、無名な自分を見つけてくれたこのクラブに戻って恩返ししたいと思っています」(前田)
「人として最高の手本に」
藤枝での2年間で、数字はともかく自分の取り組みに関しては「後悔はまったくないですし、すごく幸せでした」と言う前田。その意味で非常に大きかったのは、ポジション的にも重なる部分が多い大先輩・久富良輔の存在だった。「ドミくん(久富)には本当にたくさん食事に連れてってもらって、いろいろなことを話させてもらいました。サッカーを離れて『幸せって何?』という話もしましたし、人として最高の手本になる先輩なので、サッカー以外でも人間性の面ですごく成長させてもらいました。1日1日の積み重ねがどれだけ大事かとか、サッカーができる幸せとか喜びとかということを身にしみて実感できたことが、一番の収穫になったと思います。それは違う環境に行っても生きると思いますし、僕たちはサッカーを仕事にできるというなかなか経験できない幸せな環境にいるので、何があっても諦めずに、サッカーでどれだけ自分が幸せになれるか、周りを幸せにできるかということを求め続けていきたいです。それが自分の人生の楽しみでもあるので」(前田)
前田が人生の師と仰ぐ久富は、産業能率大を卒業してアマチュアチーム(ザスパ草津チャレンジャーズ)からスタートし、一歩一歩自力で這い上がってきた。そして34歳になった今季も貪欲に成長を重ね、3ゴール4アシストと13年のキャリアで最高の数字を残した。その姿やサッカーに取り組む姿勢は、前田に限らず無名の存在からスタートした選手たちの手本となり、「オレにもできる」という希望や向上心を与えている。
とはいえ、やはりプロの世界は厳しく、12月5日には前田と同期の永田貫太の契約満了がリリースされた。当然この後も藤枝を離れる選手が何人か発表されるだろう。そうした選手たちに向けて、自身もチームを離れるという噂のある須藤大輔監督は次のような言葉を贈った。
「まずはサッカー選手を1年でも長くやってほしいと。そのためにはいろんなことを学び、吸収しなければいけないし、いろんなものに感謝しないといけない。人間的にダメな奴はサッカー選手としてもダメになるよと。一番問われるのは、強いマインド。どんな状況でもやり続ける、諦めない、人のせいにしない、自分にベクトルを向けて常に上を目指してやっていく。そういう姿勢が大事だよと伝えさせてもらいました。僕自身もそれは同じなんですよ。いろんな挫折があって、今がある。本気の奴のところには本気の奴らが集まってくるし、そうすれば未来は開けるよと。そして最後に、自分が死ぬ間際に『ああ、この人生本当に幸せだったな』と思ってオレは死にたいし、みんなにもそうなってほしいと伝えました」(須藤監督)
サッカーの選手寿命は他の競技よりも短く、20年やれる選手は本当に限られている。前田も須藤監督も、引退後の人生まで視野に入れながらサッカー選手としての生き方について考え、言葉を発した。過去に藤枝を離れた選手にも新天地で活躍している例が目立つことは、そうしたマインドが引き継がれている証かもしれない。
前田や永田らが一回りも二回りも成長して藤枝に帰ってきて、久富のように後輩たちに大事なことを伝えていく役割を果たす未来を楽しみにしたい。
Reported by 前島芳雄