J1に復帰し2シーズン目となった2025年、東京ヴェルディは17位に沈む苦しいシーズンとなった。
その中で、J1残留とともに明るい話題となったのが、山田剛綺の復帰ではないだろうか。3月2日明治安田J1リーグ第4節ガンバ大阪戦で左ひざの複合靱帯損傷および半月板損傷の大怪我を負い、全治8ヶ月と診断を受けた山田は、先が見えない中で「今季中に復帰できれば」を1つの大きな目標に掲げ、治療・リハビリに取り組んできた。そして迎えた11月30日のJ1第37節鹿島アントラーズ戦。今季のホーム最終戦で後半43分からピッチに立ち、見事に復活を遂げたのだった。
山田が怪我した直後、城福浩監督は「今シーズン中に戻ってこられるか、戻ってこられないかギリギリのところだと思うので、彼にとっても来年が勝負の年になると思う。そこでJ2ではなくJ1で戦わせてあげたい」と話していたが、その意味でも、あらためてJ1残留は非常に大きな価値をもつものとなった。
とはいえ、山田にとって復帰までの道のりは決して容易いものではなかった。
怪我の重傷度はあまりに重く、壮絶な痛みとの闘いの日々が続いたという。
「膝の『関節包』(=関節を包む丈夫な袋状の組織。関節の保護と機能維持に不可欠な部分)が破裂して、出血が止まらなくて。内出血みたいな感じの模様が足全体に広がってて、入れ墨みたいにもうすごかったんですよ」
その関節包が修復するまで3週間、手術をすることもできなかった。
不幸中の幸いだったのが、前十字靭帯は切れていなかったことだ。医者からも「奇跡だ」と言われたという。また、負傷時に骨折や神経断裂などがあった場合は、最悪、切断の可能性すらあったと山田は明かす。
「医者に『崖とかからの転落事故か、交通事故で車に衝突されたぐらいしか、このケースは見ないです』と言われました」
何よりも山田を苦しめたのは「冷え」だった。
「冷たくて寝れなかったのが、一番キツかったです。痛くて眠れない場合は、痛み止めとかを飲めばなんとかなるのですが、冷たいのって、薬も何もまったく効かないんですよ。例えるなら、『しもやけ』のレベルマックスみたいな感じ?で、大きめの温感マットに足を置いてても、つま先が冷たかったら結局全然効き目がない。そうなると、もう寝られないんですよ。表現するなら『冷た痛い』ですね」
また、長いリハビリの生活はさすがに精神的にもかなり堪えた。
「1人になると結構いろいろ考えてしまうので、基本、1人になりたくはなかったですね。もともと1人が好きではないタイプというのもあるかもしれないですけど。なので、誰かに電話したり、ヒジくん(翁長聖/現V・ファーレン長崎)とか山見(大登)にどこかに連れ出してもらったり、山見の子供と遊ばせてもらったりしていました」
中でも、松葉杖の期間が2ヶ月も続いたため、翁長、山見の優しさが大きな支えとなった。
「松葉杖だったので、着替え用の服を持って行けない時には、全部山見が持って行ってくれたり、上の食堂で座っていたら、ヒジくんがご飯を持ってきてくれたり。最初の頃は、山見に送り迎えしてもらったりもしていました。なんかあれば食事に連れて行ってくれたり。この2人は、本当に優しかったです。たくさん迷惑をかけました」
もう1つ、25歳FWを救ったのがファン・サポーターからの温かい激励の言葉だった。
「本当にすごい励みになりました。しかも、東京ヴェルディのファン・サポーターだけじゃなくて、(怪我をした試合の)対戦相手だったG大阪のファン・サポーターの方からもたくさん声をいただいたんです。ちょうど、最終節がパナスタでのG大阪戦ということもあって、『その時にはぜひピッチに帰ってきてください』という声がすごく多くて。
また、プロサッカー選手としてピッチ上でクラブやチームに貢献できない分、イベントやファン・サポーターとの交流の場には積極的に参加した。
「この怪我の期間はピッチ上ではできることがなかったので、何かしらの形で力になりたいなと思っていました。なので、クラブ関係者やスタッフの方など、いろいろな人に『何か僕でできることがあったら呼んでください!』と伝えていました。サイン会とかも、川﨑修平と山見だけやったところを、『僕も行かせてください』と自分から言って行かせてもらったりもしましたし。本当に少しでも、一人でも、誰かのためになるならと思って。
そういうことに積極的に関われる期間って、怪我とかがない限り、シーズン中はそんなにないと思うので、いい機会だと思っていろいろやらせてもらいました」
ただ、そうした活動をすることで、むしろ自身の方が励まされたこともまた事実だった。
サインや握手、写真撮影など、ファン・サポーターの一人一人とのふれあいの中で目を見て「頑張って下さい」と声をかけてもらうたびに、「逃げずにやるしかない」と強く勇気づけられた。
大きな目標に据えていた「ホーム最終戦」「G大阪戦」でピッチに立つことは果たせた。だが、山田にはもうすでに満足感はない。「ピッチに立つ以上、強くなった自分を見せたいので、オフも引き続き、そこに向けてしっかりとコンディションや状態を上げていきたい」
今季チームは総得点がリーグワーストに終わった。FWとして来季求められる最大の役割は「得点」であることは言うまでもない。
自分自身にとってもチームにとっても、2026年はリベンジのシーズンとなる。その主役になるべく、成長あるのみだ。
Reported by 上岡真里江
その中で、J1残留とともに明るい話題となったのが、山田剛綺の復帰ではないだろうか。3月2日明治安田J1リーグ第4節ガンバ大阪戦で左ひざの複合靱帯損傷および半月板損傷の大怪我を負い、全治8ヶ月と診断を受けた山田は、先が見えない中で「今季中に復帰できれば」を1つの大きな目標に掲げ、治療・リハビリに取り組んできた。そして迎えた11月30日のJ1第37節鹿島アントラーズ戦。今季のホーム最終戦で後半43分からピッチに立ち、見事に復活を遂げたのだった。
山田が怪我した直後、城福浩監督は「今シーズン中に戻ってこられるか、戻ってこられないかギリギリのところだと思うので、彼にとっても来年が勝負の年になると思う。そこでJ2ではなくJ1で戦わせてあげたい」と話していたが、その意味でも、あらためてJ1残留は非常に大きな価値をもつものとなった。
とはいえ、山田にとって復帰までの道のりは決して容易いものではなかった。
怪我の重傷度はあまりに重く、壮絶な痛みとの闘いの日々が続いたという。
「膝の『関節包』(=関節を包む丈夫な袋状の組織。関節の保護と機能維持に不可欠な部分)が破裂して、出血が止まらなくて。内出血みたいな感じの模様が足全体に広がってて、入れ墨みたいにもうすごかったんですよ」
その関節包が修復するまで3週間、手術をすることもできなかった。
不幸中の幸いだったのが、前十字靭帯は切れていなかったことだ。医者からも「奇跡だ」と言われたという。また、負傷時に骨折や神経断裂などがあった場合は、最悪、切断の可能性すらあったと山田は明かす。
「医者に『崖とかからの転落事故か、交通事故で車に衝突されたぐらいしか、このケースは見ないです』と言われました」
何よりも山田を苦しめたのは「冷え」だった。
「冷たくて寝れなかったのが、一番キツかったです。痛くて眠れない場合は、痛み止めとかを飲めばなんとかなるのですが、冷たいのって、薬も何もまったく効かないんですよ。例えるなら、『しもやけ』のレベルマックスみたいな感じ?で、大きめの温感マットに足を置いてても、つま先が冷たかったら結局全然効き目がない。そうなると、もう寝られないんですよ。表現するなら『冷た痛い』ですね」
また、長いリハビリの生活はさすがに精神的にもかなり堪えた。
「1人になると結構いろいろ考えてしまうので、基本、1人になりたくはなかったですね。もともと1人が好きではないタイプというのもあるかもしれないですけど。なので、誰かに電話したり、ヒジくん(翁長聖/現V・ファーレン長崎)とか山見(大登)にどこかに連れ出してもらったり、山見の子供と遊ばせてもらったりしていました」
中でも、松葉杖の期間が2ヶ月も続いたため、翁長、山見の優しさが大きな支えとなった。
「松葉杖だったので、着替え用の服を持って行けない時には、全部山見が持って行ってくれたり、上の食堂で座っていたら、ヒジくんがご飯を持ってきてくれたり。最初の頃は、山見に送り迎えしてもらったりもしていました。なんかあれば食事に連れて行ってくれたり。この2人は、本当に優しかったです。たくさん迷惑をかけました」
もう1つ、25歳FWを救ったのがファン・サポーターからの温かい激励の言葉だった。
「本当にすごい励みになりました。しかも、東京ヴェルディのファン・サポーターだけじゃなくて、(怪我をした試合の)対戦相手だったG大阪のファン・サポーターの方からもたくさん声をいただいたんです。ちょうど、最終節がパナスタでのG大阪戦ということもあって、『その時にはぜひピッチに帰ってきてください』という声がすごく多くて。
また、プロサッカー選手としてピッチ上でクラブやチームに貢献できない分、イベントやファン・サポーターとの交流の場には積極的に参加した。
「この怪我の期間はピッチ上ではできることがなかったので、何かしらの形で力になりたいなと思っていました。なので、クラブ関係者やスタッフの方など、いろいろな人に『何か僕でできることがあったら呼んでください!』と伝えていました。サイン会とかも、川﨑修平と山見だけやったところを、『僕も行かせてください』と自分から言って行かせてもらったりもしましたし。本当に少しでも、一人でも、誰かのためになるならと思って。
そういうことに積極的に関われる期間って、怪我とかがない限り、シーズン中はそんなにないと思うので、いい機会だと思っていろいろやらせてもらいました」
ただ、そうした活動をすることで、むしろ自身の方が励まされたこともまた事実だった。
サインや握手、写真撮影など、ファン・サポーターの一人一人とのふれあいの中で目を見て「頑張って下さい」と声をかけてもらうたびに、「逃げずにやるしかない」と強く勇気づけられた。
大きな目標に据えていた「ホーム最終戦」「G大阪戦」でピッチに立つことは果たせた。だが、山田にはもうすでに満足感はない。「ピッチに立つ以上、強くなった自分を見せたいので、オフも引き続き、そこに向けてしっかりとコンディションや状態を上げていきたい」
今季チームは総得点がリーグワーストに終わった。FWとして来季求められる最大の役割は「得点」であることは言うまでもない。
自分自身にとってもチームにとっても、2026年はリベンジのシーズンとなる。その主役になるべく、成長あるのみだ。
Reported by 上岡真里江