去る12月14日(日)、J3・JFL入れ替え戦の第2戦が行なわれ、アスルクラロ沼津はJFL2位のレイラック滋賀FCと残留をかけて対決。アウェイでの第1戦は2-3で敗れていたため、最低でも勝たなければならない試合だったが、1-1のドローに終わり、J3会員資格を喪失。来季はJリーグを外れて10年ぶりJFLで戦うことが決まった。
昨シーズンの出場時間上位10人のうち、最多得点の和田育(11点)をはじめ7人が移籍(そのうちJ2への個人昇格が4人)。総試合時間の半分以上に出場した選手(12人)のうち残ったのは、中村勇太、徳永晃太郎、菅井拓也、鈴木拳士郎、森夢真の5人だけだった(中村は今季の出場が7試合のみ)。得点力のある中野誠也も大宮に復帰し、GKからFWまで軸となっていた選手が軒並み引き抜かれてしまった。しかも年末ギリギリに決まった移籍が多く、高島雄大社長もチーム編成の「対応が遅れてしまった」と振り返る。
そんな中で開幕戦こそ3-0の快勝を収めたが、その後は13戦勝つことができず11節終了時点で最下位に転落。その後、一時は18位まで戻ったが浮上のきっかけはつかめず、21節(7/19)から7連敗した時点で中山監督が辞任(9/14)。コーチを務めていた鈴木監督が引き継いだが、最後まで20位から抜け出すことができずにシーズンを終了。JFLでHonda FCが優勝したため自動降格は免れたが、入替戦でも勝つことはできなかった。
昨シーズンは中山監督が「超攻守一体」と表現した攻撃的なスタイルで前半戦を2位で折り返すなど、J3に旋風を起こした。今季もそのスタイルを継続しようとしたが、多くの主力が抜けた中で危険な位置でのミスや1対1で負けるシーンが目立ったことは否めない。
また全57失点のうち、前半15分までに15失点(26%)、後半15分までに16失点(28%)と序盤での失点の多さも苦戦の一因となり、先制したのは10試合のみだった。入替戦の第1戦でも開始3分で先制されるなど「今年足りなかったところが入替戦でも出てしまった」とキャプテンマークを巻いた徳永晃太郎は語った。
入替戦の先発11名の平均年齢は24.73歳で、同29.36歳の滋賀よりも5歳近く若かった。経験の少ない若い選手は、勢いに乗ればそれが強みになるが、逆にミスや失点などでつまずいたときは立て直しに時間がかかることが多い。それはシーズンを通して感じられ、「自分のことで精一杯みたいな選手が多くて、そこをチームとしてつなげてあげられなかった僕自身も、チームを引っ張るという部分で未熟だったと思います」と徳永は自省する。
もちろん今季の結果にはさまざまな原因があるだろうが、やはりもっとも影響したのは戦力の大量流出だろう。磐田で活躍している渡邉りょうやブラウンノア賢信、今季は水戸と大宮で躍動した津久井匠海など、沼津で下積みして能力を開花させ、上の舞台に羽ばたいていった選手は多い。クラブとしても選手個々のステップアップは応援していたが、さすがに昨年末の流出は多すぎて、中山監督も鈴木監督も穴を埋めるのは難しかった。
「僕らは子供たちのサッカースクールから始まったクラブで、その活動は今も続けていますし、地域との距離が近いクラブだと僕は思っています。だからこそエスパルスやジュビロじゃなくて、アスルクラロ沼津に入りたい、観たいと思ってもらえるように、まずはグラウンドで結果を出すことが必要だと思いますし、サッカーで(静岡県の)中部、西部に負けない盛り上がりを生んだり、子供たちが僕らに憧れるような存在になれるように、選手も常日頃からそういう想いを背負って過ごしていくことが必要だと思います。そこは歴代の選手たちを見て僕は感じてました。僕らは他のクラブとは違うんだと。それが今できてないのは僕の責任なので、カテゴリーに関係なくそういうクラブであり続けたいと思っています」(菅井)
1990年に「沼津セントラルスポーツクラブ」として幼稚園児のサッカースクールからスタートし、その子供たちの成長につれて小学生、中学生とカテゴリーを伸ばし、本当にボトムアップで静岡県東部地域に根付いてきたアスルクラロ沼津。ここで育った子供たちが親世代になり始めた中、2009年から地域の子供たちの目標となるようなトップチームの強化に力を入れ始めた。そしてJ3リーグの誕生に合わせてプロ化を目指し始め、2013年にJリーグ準加盟を申請し、2017年からJ3に参入した。
Jリーグの理念からいえば、まさに理想的な成り立ちを持つクラブと言える。だからこそ地域住民との距離感の近さは「他のクラブとは違う」。その自覚はフロントスタッフだけでなく選手にも確実に引き継がれており、再びJ3に戻ってくる日まで菅井をはじめとする有志たちがアスルクラロの魂を後輩たちに伝え続けていくはずだ。
Reported by 前島芳雄
今季なぜ勝てなかったのか
中山雅史監督の後任として9月から指揮を執っていた鈴木秀人監督は「多くのサポーターが愛鷹に足を運んでくれた中で、選手は諦めず最後までやってくれましたが、自分の力不足でこのような結果を招いてしまったことは大変申し訳ないと思ってます」と振り返ったが、今季の沼津はスタート時から大きな不利を抱えていた。昨シーズンの出場時間上位10人のうち、最多得点の和田育(11点)をはじめ7人が移籍(そのうちJ2への個人昇格が4人)。総試合時間の半分以上に出場した選手(12人)のうち残ったのは、中村勇太、徳永晃太郎、菅井拓也、鈴木拳士郎、森夢真の5人だけだった(中村は今季の出場が7試合のみ)。得点力のある中野誠也も大宮に復帰し、GKからFWまで軸となっていた選手が軒並み引き抜かれてしまった。しかも年末ギリギリに決まった移籍が多く、高島雄大社長もチーム編成の「対応が遅れてしまった」と振り返る。
そんな中で開幕戦こそ3-0の快勝を収めたが、その後は13戦勝つことができず11節終了時点で最下位に転落。その後、一時は18位まで戻ったが浮上のきっかけはつかめず、21節(7/19)から7連敗した時点で中山監督が辞任(9/14)。コーチを務めていた鈴木監督が引き継いだが、最後まで20位から抜け出すことができずにシーズンを終了。JFLでHonda FCが優勝したため自動降格は免れたが、入替戦でも勝つことはできなかった。
昨シーズンは中山監督が「超攻守一体」と表現した攻撃的なスタイルで前半戦を2位で折り返すなど、J3に旋風を起こした。今季もそのスタイルを継続しようとしたが、多くの主力が抜けた中で危険な位置でのミスや1対1で負けるシーンが目立ったことは否めない。
また全57失点のうち、前半15分までに15失点(26%)、後半15分までに16失点(28%)と序盤での失点の多さも苦戦の一因となり、先制したのは10試合のみだった。入替戦の第1戦でも開始3分で先制されるなど「今年足りなかったところが入替戦でも出てしまった」とキャプテンマークを巻いた徳永晃太郎は語った。
入替戦の先発11名の平均年齢は24.73歳で、同29.36歳の滋賀よりも5歳近く若かった。経験の少ない若い選手は、勢いに乗ればそれが強みになるが、逆にミスや失点などでつまずいたときは立て直しに時間がかかることが多い。それはシーズンを通して感じられ、「自分のことで精一杯みたいな選手が多くて、そこをチームとしてつなげてあげられなかった僕自身も、チームを引っ張るという部分で未熟だったと思います」と徳永は自省する。
もちろん今季の結果にはさまざまな原因があるだろうが、やはりもっとも影響したのは戦力の大量流出だろう。磐田で活躍している渡邉りょうやブラウンノア賢信、今季は水戸と大宮で躍動した津久井匠海など、沼津で下積みして能力を開花させ、上の舞台に羽ばたいていった選手は多い。クラブとしても選手個々のステップアップは応援していたが、さすがに昨年末の流出は多すぎて、中山監督も鈴木監督も穴を埋めるのは難しかった。
Jリーグの理念を体現するボトムアップ型クラブとして
サポーターとしても誰かを責めることもできず、本当に無念な結末だっただろうが、クラブがこれで終わるわけではない。沼津がJ3に初参入した2017年から在籍し、2021年からキャプテンを務めてきた菅井拓也は、悔しさに打ちひしがれる中でも次のように語った。「僕らは子供たちのサッカースクールから始まったクラブで、その活動は今も続けていますし、地域との距離が近いクラブだと僕は思っています。だからこそエスパルスやジュビロじゃなくて、アスルクラロ沼津に入りたい、観たいと思ってもらえるように、まずはグラウンドで結果を出すことが必要だと思いますし、サッカーで(静岡県の)中部、西部に負けない盛り上がりを生んだり、子供たちが僕らに憧れるような存在になれるように、選手も常日頃からそういう想いを背負って過ごしていくことが必要だと思います。そこは歴代の選手たちを見て僕は感じてました。僕らは他のクラブとは違うんだと。それが今できてないのは僕の責任なので、カテゴリーに関係なくそういうクラブであり続けたいと思っています」(菅井)
1990年に「沼津セントラルスポーツクラブ」として幼稚園児のサッカースクールからスタートし、その子供たちの成長につれて小学生、中学生とカテゴリーを伸ばし、本当にボトムアップで静岡県東部地域に根付いてきたアスルクラロ沼津。ここで育った子供たちが親世代になり始めた中、2009年から地域の子供たちの目標となるようなトップチームの強化に力を入れ始めた。そしてJ3リーグの誕生に合わせてプロ化を目指し始め、2013年にJリーグ準加盟を申請し、2017年からJ3に参入した。
Jリーグの理念からいえば、まさに理想的な成り立ちを持つクラブと言える。だからこそ地域住民との距離感の近さは「他のクラブとは違う」。その自覚はフロントスタッフだけでなく選手にも確実に引き継がれており、再びJ3に戻ってくる日まで菅井をはじめとする有志たちがアスルクラロの魂を後輩たちに伝え続けていくはずだ。
Reported by 前島芳雄