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【取材ノート:大宮】渡部大輔「リスタート」――人生の3分の2を過ごしたクラブへ誓う、新たな貢献

2023年3月8日(水)


《指導者として、子供たちと過ごすいま》

――普及部コーチに就任して約1か月、業務には慣れましたか?

渡部:そうですね、少し慣れました(笑)。

――普及部コーチとして、現在はどのような職務に携わっていますか?

渡部:まずはスクール活動ですね。学校が終わった後にサッカーがしたい、サッカーが上手になりたいと思う子たちが集まってくれて、そこで少しでもサッカーに楽しく触れ合ってもらったり、少しでも成長して、また次の週に会えるように、ということで取り組んでいます。

あとは、キャラバンといって学校の授業の一環でお邪魔をして、楽しくサッカーをやってもらって大宮を広く知ってもらえるように活動しています。

週末はサッカー教室をメインでやらせていただいてます。スクールで習ってる子以外にも、これからサッカーを始めたい、興味があるという子供たちが集まってくれる場所でもあります。サッカーって楽しいなと思ってもらえるようにやって、そこからスクール生になってもらえればクラブのためになると思っています。

両手に用具を持ち、スクールへ出発

――コーチとして携わって、楽しさや喜びのようなものを感じることはありますか?

渡部:スクールに関しては、みんなサッカーを楽しみに来てくれているので、元気良く「また来週!」って言ってくれるとやって良かったなって思います。子供たちが楽しそうにボールを蹴っているのを見たり、失敗しても何回もトライしているのを見ると、やりがいを感じます。

――逆に、大変さを感じるところは?

渡部:自分が教えたいことが伝わらなかったり、思い描いたような練習がなかなかできなかったり、ということはありますね。あとは、幼稚園児から小学校6年生までを見ているので、どの学年がどの程度、僕の話を理解してくれるのか、サッカーをどれぐらいできるのか、今は少しずつ慣れていっているところで、苦労してます。

自分が当たり前にプレーしていたことでも子供たちにはそうではないわけで、丁寧に一つずつ教えていった時に、子供たちが「ああ、サッカーってそうやってやるんだ」というように目を輝かせてくれるのが新鮮といいますか、やっぱり教えるのと自分でやるのでは全然違うなというのは感じます。

用具の整理も重要な仕事の一つ

――現時点での指導者としての目標はどのようなものでしょうか?


渡部:どこに向かっていくとか、そうした目標は正直、明確にはないんですけど、まずは今の幼稚園児から小学校6年生までの指導を自分の中でしっかりと物にできるように、というのが今の目標という感じです。

《抗えなかった年齢の壁――決意と古巣への思い》



――初めての移籍となった昨年のSC相模原でのプレーについて伺います。大宮でも共に戦った高木琢也監督との再会となりました。

渡部:たぶん力を知ってくれているので呼んでくれたんだと思ってますし、やっていく中でも「大輔にはこういうプレーをしてほしい」「こういう役割をお願いしたい」と言ってもらっていました。非常にありがたかったですし、同時に責任感もすごくありました。そこに応えきれなかったのが、本当に申し訳なかったと思っています。

――薩川了洋監督に交代後も、出場試合数やプレー時間はチームでも上位で、個人としてはまずまず手応えのあったシーズンだったのではないかとも思いました。その中で契約満了の通達を受けた時の率直な気持ちは、どのようなものだったでしょうか?

渡部:ケガをせず、年間通して戦える状態だったのが自分の中では非常に大きかったですね。あとは結果を出したかったというところです。

試合には出ていたほうだったので、そこをどう評価してもらえるのかというところは正直ありました。ですけど、ふたを開けてみたらほとんどの選手が契約満了ということだったので、それはもうどうしようもないと、クラブとしての考えなんだろうなということで受け入れました。

――次のクラブを探したと思いますが、なかなか決まりませんでした。体力面や技術面でもう厳しい、という思いはありましたか?

渡部:いや、まだやれるという気持ちでいました。ただ、やはり今は年齢がかなりカギになってきていて、若い選手を優先して、というところがあったので、なかなか条件的に厳しかったというのが率直なところです。求められてないというか、「来てくれ」というチームがないのであれば、そういう時期なのかなという形で決断しました。

――引退を決意したのはいつでしたか?

渡部:年が明けてからですかね。



――2021年に大宮で契約満了となった際、将来的な話として「まだ明確に何をやりたいということはない」と言っていましたが、そこから指導者へと舵を切っていった気持ちの変化はどのようなものでしたでしょうか?


渡部:将来的にはまた大宮に戻ってきてくれたらありがたい、というような話はいただいていました。現役引退を決断して、そこからどうしようかと考えた時に、自分の今までの選手としての経験や、大宮に長くいたという経験を最大限に生かせる仕事のほうがいいのかなと思いました。今回は指導者という道を選びましたが、根底には大宮というクラブを良くしていきたいという思いがあります。今は普及部として、土台を支える大事なところを学ばせてもらおうという意気込みでやっています。

――先々、指導者ではなくフロントスタッフのような形でクラブに貢献することも視野に入っているのでしょうか?

渡部:選手時代は、「スクールに顔を出してね」と言われて単発で参加したことはあるんですけど、実際スクールがどういう仕組みで、どれぐらいの子供たちがやっていて、とか、そういうことが見えませんでした。クラブを良くしたいのであればいろんなことを知らなきゃいけないと思うので、今はそういうところから勉強中という形です。

《サイドバックへ――その後のサッカー人生を左右した転機》



――プロ3年目となる2010年のサイドバック転向は、やはり大きな転機だったと思います。当時の鈴木淳監督にどんなことを言われたのか、覚えていますか?

渡部:チャンスをもらったのは紅白戦で、サイドバックの人数が足りなかったからやったのがきっかけで、そのままナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)の名古屋グランパス戦に出させてもらいました。試合前に、「思い切りやらなかったら交代させるよ。だから、ガンガンいっていいよ」みたいな感じで言ってくれて、それで思い切りやったのがいいほうに出たので、あの時のアドバイスはすごくありがたかったです。「こんなに前を向いてプレーできるんだ」「こんなに楽しいポジションがあるんだ」という気持ちでやれました。

――その気持ち良さが、その後につながったターニングポイントになったのでしょうか?

渡部:プロ2年目とか3年目の序盤も、途中交代で出て何かするということがほとんどだったので、スタメンというのが当時はうれしかったですね。そこが一番大きかったと思います。サブではなくてスタートで出られるポジションで、やりがいもあるし自分にも合ってそうだなと、「ここだな」と思ったので、そこで気持ちは完全に切り替わりました。



――「サイドバックに転向して後悔はないか?」という質問を用意していたのですが、どうやらまったくなさそうですね?

渡部:ないですね、まったくないです(笑)。

サイドバックがそうじゃないということではないんですけど、FWという枠は外国籍の助っ人選手もいるし、選りすぐりのストライカーが集まってくるところで激戦区です。たぶんFWでいたら、レンタルとか移籍してたんじゃないかな。正直、また違った人生になってたんじゃないかと思っているので、サイドバックへの転向は、長い目で見て良かったかなと思ってます。

でも、その(FWでの)未来も見てみたかった、というのはあります。どうなってたんだろうというのだけ見たいですけど、(FWを)やっていたかったという後悔はないです。

――今年、山崎倫選手が13番を着けました。「大輔さんが着けていた番号だし、アカデミー出身者として引き継いでいきたい」と言っていましたが、その言葉を聞いてどう思いますか?

渡部:うれしいですね。そういう強い意気込みを持った選手が上がってきたのは今後がとても楽しみですし、知らない選手に着けられるよりも何倍もいいです。本当に頑張ってほしいと思います。

そういうふうに言ってもらえるような存在として自分がやってこれたんだ思うと、うれしいですし、少しほっとした気持ちになりますね。

Reported by 土地将靖