
35歳を迎えるシーズンに、掲げた“ラストミッション”である。これが最後ではなく、これから成し遂げたい最大のミッションに、改めての意識をもって取りかかるというのだ。実績と経験、それが実現できる周囲の状況と環境、何より自身の素晴らしく充実した状態が揃ってこそ、口にすることのできる言葉である。半年間の特別大会に引き続き、彼を名古屋グランパスの主将に任命したペトロヴィッチ監督の気持ちはだからこそ、素直に理解できる。チームをまとめるリーダーとして、勝利に導いてくれる中心人物として、稲垣祥という存在は未だかつてないほどに大きくなってきているのだ。
発言は、苫小牧でのキャンプ終盤に聞いたものだった。百年構想リーグ終盤に負った左足首の捻挫をきっかけに、実は抱えていた三角骨障害のオペにも同時に踏み切った稲垣は、そこから順調に、計画通りに回復し、来る新シーズンに備えたプレシーズンキャンプで完全復帰を果たした。初めて実戦形式に復帰した際には「久々に帰ったら、試合に入ったら、うわ、これ全然足りねえなって思った。もっと主体的にやんないとダメだし、みんな頑張ってやってるけど、もうひとつ視座高くしてやらないとダメ」と仲間に檄を飛ばし、自身のプレーでもってその後のチームを力強く引き上げてみせた。彼が復帰してから特に最初の数日間は、稲垣のいる方のチームが紅白戦で相手を圧倒するようなところがあり、プレーでも周囲への指示でも、この上ない影響力を示している。“主体的に”という部分はキャプテン就任の際にもやはり触れていて、「全て監督任せ、コーチングスタッフ任せじゃなくて、自分たちがピッチの中で判断して、解決していかなきゃいけない部分も数多くある」としたうえで、リーダーとして「それを味方に伝えられるのか、要求できるのか、自分が行動できるのか」と自らにも大きなタスクを課している。
時を戻して苫小牧キャンプでの終盤のこと、件の「全然足りてねえ」の部分はその後どうかと尋ねれば、稲垣は「シャキッとしたというか、キレというか。そういう練習の質自体はパリッとしていってる部分はある」と改善の手応えはあるとした。ただしそれで足りたかと言えばそうではなく、「試合になった時にはもうひとつ突き詰めないと“優勝”には難しいものがある。日常を大切にしていく、日々の練習の雰囲気や求めるものの高さは大切にしたい」と貪欲かつ真摯な姿勢を改めて表明していた。繰り返すが稲垣は12月で35歳になる大ベテランである。年齢で老け込むような男ではないが、それでもまだ上を目指すというのは並大抵の心意気ではない。今回のミシャ体制におけるキャプテン二期目のオファーに対しても「『もちろん』と。自分にはまだやれることがこのチーム、クラブにあると思うし、自分だからこそできることはまだあると思っている」と即答するあたり、彼にはまだまだサッカーに対する尽きない欲があることがわかる。そしてそれは今この時において、在籍7年目を迎えた名古屋への思い入れも相まって、“ラストミッション”という想いに連なっていくのだった。
「チームをもっと引っ張り上げたいと思ってる。チームに対してそういう問いかけはしているし、これからもするけど、自分自身にもやっぱりしていこうと思う。たぶんね、僕自身もなんとなくプレーして、なんとなく試合やって、というのは全然できるし、それでも“普通”にプレーできるっていう自信はある。できると思うけど、やっぱりもうひとつ厳しい要求とか高い視座で、っていうところを考えると、もっともっと要求していくというところは、自分自身へのチャレンジというところでもある。たぶん、歳を取ってくればくるほど、“なんとなく”でそれなりのプレーをできるようになる。経験で何でもごまかせるけど、そうはなりたくないなと思う。そのためには何か自分の中に、自分を突き動かすものがないと、なかなか普通な感じになっていっちゃう。その“突き動かすもの”が必要な中で、高い目標やより上にという部分は、自分にとってはすごく大事だった。ひとつ間違いないのは、自分自身もグランパスでタイトルを獲る、優勝ができる、そこに挑める期間というのは、間違いなくリミットは迫っている。自分が選手として、ということでは間違いなく。それは自分がいつまで選手をできるとかじゃなくて、でも間違いなくそのリミットはあるということ。だから、いつまでも“なんとなく”でプレーしているわけにもいかない。いつもこの1年が勝負だし、そういった意味では自分自身ももちろん引っ張り上げていきたいし、チームに対しても責任持って引っ張り上げたいって思いは、より強くなっている。それは自分を突き動かすものとしての大きな…、大きな要素のひとつなんです」
なんと高潔な精神性か。プレーは泥臭く、力強く、だからこそ美しいのが稲垣という選手だ。ノブレス・オブリージュ。この言葉を使うのが正しいのかはわからないが、自分が強くあることで、周囲を引き上げていこうという心意気には“高貴なるものの義務”という意味のこの言葉が何だかしっくりくるところがある。これは本人にも直接伝えたことだが、この場合における「なんとなく」というのは、稲垣という選手のレベルの高さを示す表現でもある。何となくで日本の最高峰リーグで戦えてしまうのは、少なくともその自信が備わっているというのは、それだけで彼の歩んできた道の正しさや確かさを証明するものだ。それでも、と自分を突き動かすものを探し、満足も納得すらもせずに高みを目指すその心境に対し、稲垣はついに“最後の挑戦”という言葉を引き出すに至ったのであった。
「いや、ほんとにおっしゃる通りで、だから結局は自分自身がどこで満足するかとか、そういう価値観の問題になってくるんだと思う。人それぞれで考え方や捉え方は違うと思うけど、自分の中ではグランパスに来てからタイトルはルヴァンカップを獲れているけど、リーグ戦を獲れていない。そこはモヤっとしているというか、残しているところはあって。アジアの舞台にもう一回、帰らないといけないっていう思いも責任もある。そこは自分のサッカー人生というか、いちサッカー選手としての“ラストミッション”かなと思っているところはあります」
キャンプ序盤の復帰間もない頃には「ピッチの外から見て感じるものがあっても、そんなのは中に入った肌感覚とは違う。外からなんやかんや言ったって、結局は中に入ってから」と話していたが、ひとたび戻ってしまえば彼は肌感覚ですぐさまいろいろなものを感じ取り、現状のチームに必要なもの、これから重要になってくるもの、総じて名古屋が勝つために必要なものをあっという間に見い出していった。彼が名古屋に来た時からずっと繰り返し使ってきた口癖のひとつに「研ぎ澄ませる」という言葉がある。フィジカルとインテンシティの大家だが、だからこそ感覚を大事にしてきたところは強かった。得意のボレーシュートも、ミドルシュートも、いわゆるボールの“当て勘”が肝である。それを天才性によるものではなく、重ねた鍛錬の集積としての“研ぎ澄ませた”ものとして表現している稲垣は、五感すべてを駆使してサッカーを理解する、ナチュラルなプレーヤーとしての境地に達しつつある。その天然自然な感覚をもってチームをとらえる時、自ずとキャプテンとしての資質がそこには表出する。
「基本的にはピッチ上にはミシャの哲学があって、やり方があるので、そこにどうやったらチームとして乗っていけるか。それに合わせていけるかっていう作業はずっとしながら、今シーズンもよりミシャサッカーの深度を深める、そこにトライしながら。やっぱりピッチの中で解決しなきゃいけない問題も数多くあるので、そういったところに気づけるか、それを解決していけるか、ピッチ上で試合中に修正していけるかっていうのが意外と大事だったり、試合の勝敗を分けるようなことになっていくことは多くあると思う。そういったところでキャプテンとしての役割を全うしたいし、そういったディテールを良い方向に転がして、そこで勝点を少しでも上積みできれば、どんどん上も見えてくると思う。意外とそういうところは大事かなとは思いますね、このチームは」
5週間の準備期間を経て、いよいよ開幕する2026/27シーズンについては「優勝のためには目の前の試合に勝っていかないといけない。もっと言えば、日々の練習でよりレベルの高い環境の中で自分たちが高め合っていかないとそこには届かない」と一戦必勝、そのための日々研鑽を誓った。そしてもちろん、自分自身に求めるものの最大化も。「1日1日の取り組みを一番大切にしたいし、自分自身もそれを365日続けられるような今シーズンにしたい」。全然足りねえと言ったからには、自分がその一番前を走らなければ嘘になる。絵に書いたようなキャプテン、頼りになるリーダー、名古屋の魂たる存在。負傷明けなんて関係ない。稲垣祥がいる限り、名古屋は決して諦めず、勝利に対して手を伸ばす。
Reported by 今井雄一朗